

執筆者:宮崎 祥一
SAS Institute、Teradata、Avanade、McAfee、Experian、Honeywellなどの外資系IT・アナリティクス企業で、30年以上にわたり法人営業とビジネス開発に従事。製薬、化学、食品・飲料、半導体などのプロセス産業のほか、金融、小売を中心に、導入事例の乏しい新領域における案件創出から受注までを主導。2023年にHoneywellのAccount Directorを退任し、現在は株式会社アルファブランディングを通じて、DXや新領域ソリューションの初期提案と、企業内でのDX施策の起案の設計を支援。
はじめに|気に入られているのに、話が進まない
商談の手応えはありました。担当者は「いいですね」と身を乗り出し、課題への理解も深く、次のステップの話まで出ています。ところが数週間たっても、「社内で検討します」の一言から先に進みません。こんな経験はないでしょうか。
営業の現場では、こうした案件を「熱量が足りなかった」「タイミングが悪かった」と受け止めがちです。ただ、原因はそこにないことが少なくありません。提案の検討が始まるかどうかは、担当者一人の気持ちではなく、社内で同意が要る人全員のハードルで決まります。しかも、その説明の大半は、営業のいない場所で行われます。
このコラムでは、提案が「検討」に進む条件を、掛け算の式で整理します。そのうえで、止まる場所を見つけて直すための3つの打ち手(関係者ごとの重さ、話の筋のつなぎ目、書面に残す形)を紹介します。式は出てきますが、使うのは掛け算だけです。
- はじめに|気に入られているのに、話が進まない
- 1. 課題と背景|好感触と「検討開始」は別物
- 1-1. 前向きな担当者の反応が、案件化を保証しない
- 1-2. 説明の大半は、営業のいない場で行われる
- 1-3. 「なぜか止まる」案件の原因が、営業から見えない
- 2. 課題の構造|検討開始は「掛け算」で決まる
- 2-1. 検討開始は、関係者全員がハードルを超えて初めて始まる
- 2-2. 同じ経営課題でも、人によって重さが違う
- 2-3. 連鎖はいちばん弱いつなぎ目で決まる
- 2-4. 口頭で中継するたびに、因果は薄まる
- 3. 解決策|検討開始までに整えること
- 3-1. 関係者ごとの「重さ」を、提案前に確認する
- 3-2. 因果の連鎖を点検し、弱いつなぎ目から直す
- 3-3. 中継される前提で、因果を書面に残す
- まとめ
- 【参考】CaseScenario™なら
1. 課題と背景|好感触と「検討開始」は別物
商談での手応えと、社内での検討開始は、別々に動きます。この章では、その段差が現場でどう表れるかを見ます。
1-1. 前向きな担当者の反応が、案件化を保証しない
商談で聞く「いいですね」は、担当者個人の評価です。社内で下される判断は、それとは別のところにあります。「この件に予算を割くかどうか、検討の場に載せよう」という合意です。
担当者が製品を気に入り、課題を理解し、機能も十分だと感じている。これは、検討開始の条件のうち、担当者本人に関わる部分が整った状態にすぎません。担当者の裁量を超える規模の提案では、上司や関連部門の了解が要ります。担当者の好意と社内の検討開始のあいだには、段差があります。担当者が上司に相談したとき、上司が最初に聞くのは、製品の良し悪しではないでしょう。「それは、いま取り組むべき話なのか」です。この問いに答える材料が担当者の手元になければ、好意は社内で動く力になりません。
営業にとって厄介なのは、進み具合を測る物差しが、担当者の反応しかないことです。反応が良ければ手応えを感じ、社内の状況とは無関係に受注見込みを立てます。手応えと実際の進み具合がずれる理由の一つは、ここにあります。
1-2. 説明の大半は、営業のいない場で行われる
国内の大手銀行に提案したときのことです。関係部門を集めた勉強会を開き、反応は良好でした。担当者はその内容を社内に上げるために、丁寧に、分量のあるレポートをまとめてくれました。
ところが、そのレポートは経営層である幹部に読まれないまま、案件は失注しました。担当者は最後まで動いてくれていました。勉強会に集まった人たちは、内容を理解していました。しかし、レポートを読むのは、勉強会にいなかった人たちです。理解した人と、幹部に説明する人は別で、届かなかったのは、レポートが幹部の手元で読まれる形になっていなかったからです。私自身も、要約の提案を出すタイミングを逃しました。
商談の場で営業が話した内容は、その後、担当者の手で、営業のいない会議室で説明し直されます。営業は、その場に立ち会えません。説明の質を左右する材料は、営業の話術ではなく、担当者の手元に何が残っているかです。
1-3. 「なぜか止まる」案件の原因が、営業から見えない
案件が止まったあと、営業に届く情報はわずかです。「社内で検討します」「今期は見送りです」。誰が、どの点で引っかかったのかは届きません。担当者に「どこで引っかかりましたか」と尋ねても、社内の議論をすべて見ているとは限りません。
見えない部分は、営業側が見える理由で埋められます。価格が高かった、時期が悪かった、競合に負けた。理由が営業の側に寄るので、対策も「次はもっと熱意を込めて説明する」「資料の見た目を整える」に向かいます。
しかし、止まった場所が社内の誰のどのハードルだったのかを特定していなければ、対策は当たりません。止まる理由を営業側の言葉で片づけ続けると、同じ止まり方を次の案件でも繰り返します。次の章では、見えない部分を式に置き換えて、止まる場所を構造として見ます。
2. 課題の構造|検討開始は「掛け算」で決まる
検討開始の条件は、足し算ではなく掛け算です。足し算なら、弱い条件を強い条件で補えます。掛け算では、どれか一つがゼロに近いと、全体がゼロに近くなります。この章では、2本の式で構造を見ます。
2-1. 検討開始は、関係者全員がハードルを超えて初めて始まる
1本目の式は次のとおりです。

S は、検討開始に同意が要る関係者の集合(上司、関連部門など)で、i はその一人ひとりを指します。
左側の M_i × L_i × I は、関係者 i から見た「この提案が検討に値する度合い」です。M_i は提案がつながる経営課題の重さ、L_i は話の筋の通り方、I は提案する機能が効いたときの大きさを表します。右側の θ_i は、その人が「予算を割くかどうか、検討する価値がある」と判断するハードルです。左が右を超えれば、その人は「検討してみよう」と考えます。なお、θ_i は「投資すべきか」の基準ではありません。投資判断には個社固有の情報が要るため、ここでは扱いません。
Pr は確率です。M_i も θ_i も、提案を出すまで分からないので、「超える確率」と書きます。Π(パイ)は「全部掛け合わせる」記号です。上司、関連部門など、検討開始に同意が要る人が全員超えなければ、検討は始まりません。担当者が納得しても、関連部門の一人が超えなければ、全体の確率は下がります。
2-2. 同じ経営課題でも、人によって重さが違う
M_i は、提案がつながる経営課題が、関係者 i にとってどれだけ重いかを、0から1で表します。添え字の i が付いているのは、同じ課題でも人によって重さが違うからです。経営企画には重い課題が、現場の部門長にはそれほど重くないことがあります。
半導体メーカーに需要予測を提案したときのことです。私は、競合製品との比較で負けているのだと思っていました。案件を止めたのは人事責任者で、その言葉は「担当者の役割はどうなるのか」でした。実際に競合していたのは他社の製品ではなく、高齢化に伴う技術継承という、人事系の経営課題でした。担当者を研修に送りながら需給調整の業務は続けてもらう形に組み直して、合意に至りました。
提案は需給調整の精度という課題につながっていました。しかし人事責任者にとって重かったのは、別の課題です。掛け算では、一人の M_i が低いだけで、その人のところで θ_i を超えられません。営業が見ていた競合比較の外側で、案件は止まっていました。
2-3. 連鎖はいちばん弱いつなぎ目で決まる
2本目の式は、L_i、つまり話の筋の通り方を分解します。

前半の Π p_k は、連鎖そのものの強さです。提案の話は、市場環境、その会社の立ち位置、経営課題、業務課題、解決策、効果の6つの要素が順に続きます。要素のあいだには、つなぎ目が5つあります。p_k は、k 番目のつなぎ目で、読み手が「確かにそうつながる」と納得する確率です。掛け算なので、どれか一つが弱いと全体が下がります。
数値で見ます。以下は説明のための仮置きです。M=0.8、I=1、θ=0.4、書面で共有され中継による劣化はないものとします。
ケース | L | M×L×I | 判定 |
|---|---|---|---|
① 5つのつなぎ目がすべて0.9 | 0.59 | 0.47 | 超える |
② 1つだけ0.3、ほかは0.9 | 0.20 | 0.16 | 超えない |
②は、全体の出来が悪いわけではありません。一か所のつなぎ目が弱いだけで、結果が変わります。箇条書きや図表を並べただけの資料は、要素が並んでいても、つなぎ目が定義されていない状態です。読み手は、つなぎ目を自分で補いながら読みます。補えなければ、そこで止まります。
2-4. 口頭で中継するたびに、因果は薄まる
後半の r の m_i 乗は、口頭で中継されることによる劣化です。r は、説明が1回伝わるごとに、因果が崩れずに残る割合(0から1)です。m_i は、関係者 i に届くまでの中継回数で、担当者が上司に、上司が関連部門長に説明するなら、m は2です。
先ほどの①と同じ資料を、口頭だけで2回中継した場合(③)を見ます。r を0.8とすると、r の2乗は0.64で、L は0.59から0.38に下がります。M×L×I は0.30で、θ の0.4を超えません。①と③は、資料の中身がまったく同じです。違いは、書面が残るかどうかだけです。営業が知っている「だからこうなる」が、担当者が伝えるころには「こういう製品がある」に変わる。中継のたびに起きていることを、r が表しています。書面があれば、r は1に近づきます。
この式には限界があります。各値は実測できないので、予測のための式ではなく、構造を説明するための式です。Π は、関係者の判断が互いに独立だと仮定しています。実際には、上司が反対すれば部下も同調する、といった相関があります。p_k の掛け合わせも同じで、経営課題への接続が強ければ後のつなぎ目も納得されやすい、という相関があるはずです。
3. 解決策|検討開始までに整えること
打ち手のゴールは、「買う」に置きません。「予算を割くかどうか、検討する価値がある」と全員に思ってもらうところまでです。投資判断は個社固有の情報が要るので、その手前の目標に絞ります。順に、3つ整えます。
3-1. 関係者ごとの「重さ」を、提案前に確認する
提案資料を作る前に、誰の同意が要るのかを洗い出します。担当者に「この件を検討の場に載せるとき、どなたの了解が要りますか」と聞くのが早い方法です。
次に、その人たちがそれぞれ、いま重く受け止めている経営課題を確認します。担当者に「その方が今期いちばん気にしているテーマは何でしょうか」と聞くほか、公開されているIRや中期経営計画で仮説を立てられます。
最後に、自分の提案が、その課題にどうつながるかを一言で言えるかを確かめます。「御社の現場が楽になります」では、経営課題の言葉になっていません。「この提案は、貴部門が今期抱えるあのテーマに、こう効きます」と言える形にします。一言で言えない相手が、M_i の低い人です。2章の半導体メーカーの人事責任者のような人は、商談の席にいません。席にいない人の重さは、聞かなければ分かりません。
3-2. 因果の連鎖を点検し、弱いつなぎ目から直す
市場環境から効果までの6つの要素を一列に書き出し、要素のあいだの5つのつなぎ目を、一つずつ確認します。確認の方法は、各つなぎ目に「だから」「なぜなら」を置いて、読み手が言い返せないかを見ることです。
自分の目には自然につながって見えるので、確認は関係者の立場で行います。上司や関連部門の人が読んだときに、「本当にそうなの?」と止まる場所を探します。
見つけたら、全体を磨き直すより先に、いちばん弱い一か所を補強します。掛け算では、弱い一か所の改善が、ほかの五か所の改善より効くことがあるからです。つなぎ目には、なぜそうつながるかを説明する一文を置きます。たとえば「業務課題」から「解決策」への間なら、「この業務課題は、この機能が扱う範囲にあるので、この解決策になる」と書きます。この一文が書けないつなぎ目は、読み手にとっても、つながっていません。箇条書きや図表は、要素を並べるだけで、この一文が入りません。
3-3. 中継される前提で、因果を書面に残す
説明が何回中継されるかを、数えます。担当者から上司へ、上司から関連部門長へなら2回です。その回数分、営業のいない場で説明が繰り返されると見込んで、準備します。
準備するのは、担当者の記憶に預けなくても因果を追える書面です。大事なのは、量ではありません。1章の銀行のレポートは分量がありましたが、幹部の手元で読まれる形になっていませんでした。最初に読む人が、短い時間で市場環境から効果までを追える形にします。
確認の基準は、営業がその場にいなくても、この書面だけで「検討するかどうか」を話し合えるかです。話し合えるなら、中継のたびに起きる劣化を抑えられます。話し合えないなら、書面は資料の束にとどまり、因果を運ぶ役目を果たしていません。担当者の説明力に頼る前に、書面の側を点検します。
まとめ
止まった案件を一つ、思い浮かべてみてください。担当者は前向きだったのに、検討が始まらなかった案件です。5つのつなぎ目のうち、どこで止まったのでしょうか。社内で同意が要った人の、誰のハードルだったのでしょうか。
答えが分からなければ、それが最初の発見です。営業の熱意や担当者の説明力とは別のところで、構造が結果を決めていた、ということだからです。次の案件では、提案資料を作る前に、誰の了解が要るのかを担当者に聞くところから始めてみてはいかがでしょうか。小さな一歩ですが、掛け算の最初の項を確かめることになります。
【参考】CaseScenario™なら
ここまでの打ち手を、提案の初期段階で形にする方法の一つが、CaseScenario™です。CaseScenario™は、顧客担当者が社内の関係者に説明し、検討を開始させるための「初期提案の設計図」を整えるサービスです。
具体的には、提案する機能が解決する業務課題を、業界共通の経営課題に接続し、市場環境から効果までの因果を書面に構造化します。この2つは分けずに設計します。経営課題につなげただけでは、書面上の一項目にとどまります。因果だけ整えても、上流に経営課題がなければ、業務課題から解決策へ続くだけの提案になるからです。書面ができれば、担当者は営業がいない場でも、同じ書面をもとに関係者と因果を追えます。
ただし、CaseScenario™は検討開始を保証するものではありません。整えるのは、検討開始に必要な論点、因果構造、判断材料までで、投資判断そのものは対象外です。担当者自身が決裁者で社内説明がほとんど要らない場合や、要件・予算が確定して比較購買に入った後期の案件は、適用外になりやすい場面です。






