

執筆者:宮崎 祥一
Honeywell、Experian、Teradata、Avanade、SAS Instituteなどで、アナリティクス領域の事業開発に従事。製造業を中心に、医薬や金融など多様な業界において、導入事例が乏しい新領域の提案も含め、案件創出から受注までを主導してきました。2023年にHoneywellのAccount Management Directorを退任。現在は株式会社アルファブランディングを通じて、DXや新領域のソリューションにおける初期提案の設計支援を行っています。
はじめに|現場には響いたのに、経営層で止まった
製薬企業へのDX提案をしていて、こんな経験はありませんか。現場の担当者との話し合いはうまく進み、「この方向で進めましょう」という合意まで取れたのに、いざ社内の承認フェーズに入ると動きが止まり、数か月後に「次年度の検討課題になりました」と連絡が来る。
製薬DXの提案では、このパターンが繰り返されやすい背景があります。現場が評価する論点と、経営層が投資判断に使う論点が、構造的にずれているからです。「研究開発の効率化」や「規制対応の強化」という文脈で整理された提案は、現場には刺さっても、経営層が承認する根拠にはなりにくい。
このコラムでは、なぜ製薬DXの提案が経営層まで届きにくいのかを構造的に整理し、提案の起点を変えることで前に進みやすくなる視点をお伝えします。
- はじめに|現場には響いたのに、経営層で止まった
- 1. 課題と背景|製薬DXが守りに偏る構造的理由
- 1-1. 研究開発効率化に集中するDX投資
- 1-2. 経営層の期待と現場のDXテーマのずれ
- 2. 課題の構造|提案が経営判断に届かない3つの理由
- 2-1. データが部門で閉じていて、経営課題との接続が見えない
- 2-2. 規制対応が優先されるほど、成長投資の議論が後ろに下がる
- 2-3. 意思決定の構造が変わっても、提案の前提が変わらない
- 3. 解決策|パイプライン価値から逆算して提案を組み直す
- 3-1. 「収益に直結するか」を起点にDXテーマを選ぶ
- 3-2. 担当部門だけでなく、経営アジェンダの変化を追う
- 3-3. 現場の成果を経営指標の言語に翻訳する
- まとめ|現場の合意を、経営層が動く論点に組み直す
- 【参考】CaseScenario™なら
1. 課題と背景|製薬DXが守りに偏る構造的理由
1-1. 研究開発効率化に集中するDX投資
製薬DXの多くは、研究開発の効率化と規制対応の強化を中心に進んできました。創薬初期段階でのAI活用、治験データの電子化やEDC導入、GMP対応システムの刷新などは、開発スピードと品質管理を高める取り組みとして一定の成果を上げています。グローバル規制の厳格化や薬価制度改革への対応は避けられず、この方向への投資には業界として合理的な理由があります。
ただ、この流れは「守りのDX」への集中を招いています。既存プロセスの効率化やリスク低減には結果が出やすい一方、収益モデルの変革や新市場の創出に向けたDX投資は後回しになりがちです。経営層が本来期待する「研究開発を収益に直結させる仕組み」とのギャップは、こうして拡大していきます。提案する側からすると、この構造を理解せずに現場の課題解決を訴求し続けることが、承認の壁を生む遠因になっています。
1-2. 経営層の期待と現場のDXテーマのずれ
経営層が製薬DXに求めているのは、効率化やコンプライアンス対応ではありません。研究開発投資の回収スピード向上、パイプライン全体のROI最大化、ESG対応や患者中心の医療といった社会的要請への対応です。パテントクリフ(特許切れによる収益急減)やジェネリック・バイオシミラーの台頭、薬価抑制政策の強化を背景に、経営層の視野は「現在の効率改善」ではなく「将来の収益基盤」に向いています。
しかし提案として持ち込まれるのは、「臨床試験データ管理の精度向上」や「生産ラインのトレーサビリティ強化」といった部分最適な成果にとどまるものが多く、経営層が注目する収益モデルの転換や競争力強化とは接続されていません。現場では高く評価される提案が、経営承認の場では「IT部門の案件」として扱われ、他の経営投資と優先順位を争って後回しになる。その構造が、製薬DXの提案で繰り返されているパターンです。
2. 課題の構造|提案が経営判断に届かない3つの理由
2-1. データが部門で閉じていて、経営課題との接続が見えない
製薬企業は研究・開発・製造・販売の各工程で膨大なデータを扱っています。しかし多くは部門ごとに分断されており、システム単位で閉じた状態です。研究段階のゲノム解析データ、臨床試験のEDCデータ、市販後のRWDや安全性情報が相互に連携されないまま、部分的な活用にとどまっています。
この状態では、提案する側がどれだけ現場課題の解決策を整理しても、「研究の知見が上市後の市場戦略にどう影響するか」「患者や医療現場からのフィードバックが次の開発にどう返るか」という経営レベルの因果を示せません。部門横断の価値創出が見えない提案は、現場担当者には評価されても、経営層が優先順位をつける材料にはなりにくいのです。
2-2. 規制対応が優先されるほど、成長投資の議論が後ろに下がる
製薬DXでは、GxP対応・薬事規制強化・PV(ファーマコビジランス)の高度化が不可避の優先課題として存在します。これらは膨大な経営資源を必要とし、プロジェクト承認に至るまでの社内調整も長期化しやすい。その結果、新規事業開発や患者アウトカムを軸とした価値創造は、常に「次の議題」に押し出されてしまいます。
提案する側としても、規制対応への貢献を訴求することで現場の支持を得やすいのは確かです。しかしそれが強いほど、経営層の目には「必要なコスト」として映り、「投資判断の対象」にはなりにくくなります。規制対応を強化するほど成長投資の議論が遠のくという構造は、提案を守りの文脈に固定する引力として働いています。
2-3. 意思決定の構造が変わっても、提案の前提が変わらない
製薬企業の意思決定は、一人の決裁者が単独で判断するのではなく、複数の部門・役員が関与する合議プロセスで進みます。しかもその構造は、外部環境の変化によって途中で変わることがあります。あるベンダーが国内の製薬企業の品質保証部門と進めていた案件で、提案の途中にFDAの監査強化という外部圧力が加わり、予算化の主体が国内の品質保証部門から米国工場の生産管理部門へと移ったケースがあります。提案先も資料の構成も前提が変わったにもかかわらず、それに気づくまでに時間がかかり、クロージングまで当初の想定より1年近く余分にかかりました。
提案側が現場担当者との関係を丁寧に築いていても、意思決定の構造が変わっていれば、承認までのルートは別のところに移っています。その変化を察知するためには、担当部門だけでなく、経営アジェンダや役員の動きまで視野に入れた提案設計が前提になります。
3. 解決策|パイプライン価値から逆算して提案を組み直す
3-1. 「収益に直結するか」を起点にDXテーマを選ぶ
製薬DXの提案を経営層に届けるには、現場の課題から積み上げるのではなく、「パイプライン価値の最大化」というゴールから逆算してテーマを選ぶことが出発点になります。創薬AIや治験効率化の施策も、それ自体を目的として訴求するのではなく、「上市スピードの加速」「パテントクリフの影響緩和」「開発投資のROI改善」と結びつけた形で設計することで、経営層が判断できる論点として成立します。
裏返して言うと、現場が評価する「精度向上」「工数削減」「リスク低減」は、それだけでは経営層が投資判断する言語になっていません。まずこの起点のずれに気づくことが、提案設計を変える第一歩です。
3-2. 担当部門だけでなく、経営アジェンダの変化を追う
提案の承認が止まる原因が、競合製品ではなく経営アジェンダとの競合であることは、製薬業界でも例外ではありません。海外工場への投資、規制対応への集中、役員交代に伴う優先順位の変化、こうした動きがIT投資の承認タイミングに直接影響します。
IR・アニュアルレポート・四半期報告書には、こうした経営判断の方向性が書かれています。担当部門が「次年度に持ち越したい」と言う背景に、どの経営アジェンダが動いているかを把握しておくことで、提案の位置づけを調整できます。また製薬企業のように意思決定に複数の役員が関わる場合、IT担当部門だけでなく、全役員の動向と経歴を押さえておくことも、承認が止まる原因を正確に診断するための材料になります。
3-3. 現場の成果を経営指標の言語に翻訳する
現場担当者が「治験期間を短縮できる」と言っても、経営層には「開発が早くなる」という理解にとどまりがちです。これを「上市スピードが上がり、特許期間内の収益回収が前倒しになる」という経営指標に翻訳して初めて、経営層が投資判断できる論点として成立します。同様に、「製造ラインのトレーサビリティ強化」は「リスク資本コストの低減」へ、「RWDを活用した患者アウトカムの改善」は「市場競争力・ブランド価値の強化」へと接続することができます。
この翻訳を提案の初期段階で整えておくことが重要です。現場担当者が社内説明を進める場面で、経営層に届く言葉として再現できなければ、承認フェーズで論点が別の形に変換されてしまいます。翻訳の構造を最初から提案の設計に組み込んでおくことが、製薬DX提案を「守りの施策」から「成長戦略」として経営層に届けるための実務的な入口です。
まとめ|現場の合意を、経営層が動く論点に組み直す
現場担当者に評価されたとしても、それだけで経営承認まで届くとは限りません。製薬DXの提案では特に、現場が動く論点と経営層が判断する論点のあいだに、構造的なギャップがあります。
そのギャップを埋めるのは、提案の後段での説明の工夫ではなく、最初の設計から「この提案が経営のどの課題と接続しているか」を組み込んでおくことです。パイプライン価値や収益基盤の強化という言語に翻訳されて初めて、提案は経営層が比較判断できる俎上に乗ります。
一度、手元にある提案から、現場課題の言葉を経営課題の言葉に置き換えてみるところから始めてみるといいかもしれません。そこで言葉が変わるようであれば、提案の設計を組み直す余地があるということです。
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製薬企業へのDX提案では、研究・臨床・製造・販売にまたがる業務課題を、経営層が投資判断できる言語へ翻訳することが難しい局面が続きます。現場担当者の合意は取れても、社内説明のどこかで論点がぼやけ、承認が前進しない。そのギャップは、提案内容の精度の問題ではなく、業務課題が経営課題の言語に翻訳されていないことと、翻訳された論点が担当者経由で社内に伝達されやすい構造になっていないことから発生しています。
CaseScenario™は、IR・中期経営計画から経営ゴールを読み取り、業務課題を経営課題に翻訳し、案件化・検討開始・承認前進に必要な判断材料を初期提案の設計図として整えるサービスです。製薬業界に共通する経営課題(研究開発効率・薬価対応・パテントクリフ・ESG)を起点にした提案構造を短期間で設計し、顧客担当者が社内説明を再現しやすい形でまとめます。
提案が現場で止まらず、経営層の判断まで届く状態を初期段階から整えることが、CaseScenario™の役割です。







